「真の牧者の到来」(
大 牧者なるキリスト)   

      KFG志木キリスト教会  主任牧師  久保 真理 牧師
 

 

「わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべ
 ダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。
 主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビ
 デはあなたがたの間で君主となる。」

         (エゼキエル書34章23、24節)




1.偽りの牧者 (1 ~10)

預言者エゼキエル(神によって強くされる)は捕囚の民の中にあって、バビロン捕囚の民の牧者となったのは、それまでのイスラエルの指導者であ る預言者が、ニセ預言者ゆえに、「羊の世話はそっちのけで、私腹を肥やすことしか考えてない羊飼いは、災いだ。・・・自分たちは最上の物を食 べ、最高の衣をまといながら、群れの羊を飢えさせている。弱い羊のめんどうを見ず、迷って行方不明になった羊を捜すこともない。それどころ か、力ずくで残酷な支配をほしいままにしてきた。」その様な自己中心な罪人であるので、① 神に聞かず、②羊(民)をかえり見ず、の指導者であるため、「わたしの羊は山々や丘など、地上の至るところをさまよっ た。・・・野獣に襲われても助けようともしなかった。・・・自分はたらふく食べて、羊を平気で餓死させていた。・・・わたしの羊の身に降りか かった災いの責任を問う。」(リビングバイブル)と、主なる神は迫る。その結果として、民が「散らされる」(5、6)ことになった。
私たちも、ニセクリスチャンとなり、群(教会)を「散らす者」にならないために、「主 のことばが私にあった」と、預言者のように、主に聞く者(エゼキエル中49回ある)でありたい。― 日々の静思の時に、みことばに聞くことが、ニセ者と本物とをわける。

2.良い牧者 (11~16)

羊と人とはよく似ていると言われる。羊は近眼で、遠方がよく見えないので、迷いやすい。その上、武器となる物がない。だから群れることによっ て、獣から身を守ろうとする。羊飼いは、羊を外敵からいのちがけで守り、水辺や草茂る場所へ導くし、四季を通じて、あらゆる世話をする (11~15)。
そして「わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。」(16)と。
後に、私たちの牧者なるイエスは「いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」(ルカの福音書15章1~7節)と、「迷える 羊」の譬えを語り、ヨハネの福音書10章:には「良い牧者は羊のために いのちを捨てます。」と、ついに十字架にかかり、罪の世から贖う愛を示しておられる。

3.大牧者なるキリスト(23、24)

預言者イザヤは約700年前に、メシアの到来を告げた。エゼキエルはBC500年に、真の牧者としてのキリストの出現を預言して、希望のない 捕囚の生活に、希望を与えた。
BC一四〇〇年頃、モーセは摂理の中で、四十年、荒野の羊飼いとなって、出エジプトのイスラエルの民を牧者として導くために備えた。
そして、この「ひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。」(23)と、BC千年の頃、最も栄えたイスラエルを治めた王(ダビデの少年時 代はやはり羊飼いであった。)で、それと共にメシアのひな型で、キリストの姿を映しているのである。
ダビデは神が選び、神が喜ぶ人物、そして、すべての敵に勝利し、王国をあらゆる方向に拡張した王で、その頃の全土はしばらくの間、統一され、 平和であった。
「主はまた、しもべダビデを選び、羊のおりから彼を召し、乳を飲ませる雌羊の番から彼を連れて来て、御民ヤコブとご自分のものであるイスラエ ルを牧するようにされた。」(詩篇78篇70、71)事実、ダビデはご自身の経験から、ご自分が牧者なる主に導かれた一生を詩篇23篇に、美 しく凝縮して描いていている。
47年前、志木の地の開拓伝道にのり出す前、川崎の教会は火の試練の中を牧師も、信徒も風前の灯のような所を通された(ペテロの手紙第一1章 6,7節)。
相模原の地に会堂建築をして、新しい地は活気があふれていた。川崎には25名が残り、半分になった会衆と共に、改めて使徒行伝を学びながら、 新しいみわざを期待して祈った。(その頃、借家の集会所の空け渡しも迫られていたので、落着かなかった。)
祈って、三年。一本の電話があった。「真理先生、開拓伝道に丁度よい一軒家(中古)が借りられますよ!庭も広いので、幼児教育にはよいと思い ます。・・・」と。何度か下見をして、祈った結果、「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。・・・」 (黙示録3章8節)のみことばを与えられて、始った開拓伝道であったが、次から次へ、必要経費に迫られて、「主は私の羊飼い。私は、乏しいこ とがありません。」(詩篇23篇1節)と言いながらも、夜の志木の地には蛙が鳴き、灯が乏しい街に、立ってみて、ふと、不安がよぎる時があっ た。
しかし、真実な方は、必要を思いがけないところから満たして下さった。まさに、開拓七年後には、百名礼拝が可能な会堂を建設することが出来た し、川崎にも、この献堂式の時に、2,500万円の、会堂が建つことになったのである。
●「永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、・・・」(ヘブル人への手紙13章20節)






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