KFG創立61周年記念礼拝

「見張り人」目を覚まし、語れ) 


      KFG志木キリスト教会  主任牧師  久保 真理 牧師
 

 

「私が命じられたとおりに預言すると息が彼ら中にはいっ
 た。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。
 非常に多くの集団であった。」
                
         (エゼキエル書37章10節) 
         (参照 ヨハネの福音書20章22節)





砂漠の谷間にカラコロと乾いた風に吹かれて、枯れた骨が ころがっている姿、まさに、捕囚の民となったユダの人々の、なれの極の姿。まさに失望の谷の象徴のようである。

1.祈りの座(谷間)

明日、宣教師から古い大天幕をもらい受けて、空地に張ると言う夕暮れ時、リンゴ箱に開げたエゼキエル書を読み、伝道者夫妻と天幕伝道の実践中 に夏休みを返上して参加した神学生(私)と働き人M兄と四人で、やがて、川崎の地(百万都市になりつつあった)に、枯れ骨が立ち上がり、「筋 をつけ、肉を生じさせ、皮膚で多い、・・・生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。」を幻に描きつつ祈って、主に期待 し、胸をわくわくした(1957年8月16日)。
ユダの人々にとっては、BC600年前後の失望の、異教の地の幻であったが、やがてみことばと聖霊の働きによって、立ち上がる者たちも起こさ れたであろう。私たちは新しく、各人の内面に迫って下さった信仰のスタートであったと思う(○参ヘブル人への手紙11章1節)。
事実、集会中、夕立ちが来た時、雨漏りはあったが、帰る人はいなかった。一週間の伝道的なメッセージやあかしのことばによって、決断した人々 は15名を与えられた。
立派な会堂があっても、どんなに有名な伝道者を迎えても、必ずしも、そうならなかったかも知れない。戦争で、教会が焼失してから十年以上も祈 りを積み重ねて来た、応答で、神のビジョン(青写真)に基いての働きで、群形成(「二、三人の者、わが名によって、集まるところに、われもお るなり」(文語・マタイ一八 20)がなされたのである。(決心者の中には、牧師家庭が住む借家を契約する時にと、権利金の一部にと、協力する者もいた。)

2.失望、落胆の谷から始った(1、2)

私たちは属していた団体(組織体)や宣教師団が、困難な開拓期にこそ、経済的、人的支援はあると思っていた。ましてや、帰属していた宣教師団 と共に開拓宣教に労してきて、過労で倒れたのに、「個々人の働きを援助することは出来ない。」と言うことで、中古の天幕とその一式だけはいた だき、活用することが出来た。
それは、最初から「自分の足で立ち上がった。」とある様に、自立した群で、目に見える人や経済をあてにせず、神に信頼して戦う道を示されたの である。(団体はどんなにたのもしく見えても、神に代わる者ではない。それは偶像礼拝である。ユダの人々が神殿に偶像を持ち込んで、祝福を 失ったようになってはならない。)団体の中にいると、主なる神に信頼するよりも、何でも助けてくれる豊かなリーダーを求めやすい。いつも、与 える恵みに満ちた群(リッチな教会)であってほしい。
特に教会を持たない家族持ちの牧師や伝道者は、当時も、今も大変である。中高生の十代の妹たちは、学びに集中できず、新聞配達や近所の商店の 店番をしたり、内職に追われ、やがて、上京して就職しても、給料のほとんどを牧師家庭の会計に投入したのである、結婚の時に、「洋服ダンスや ふとんも持参できない・・・」と嘆いていた。しかし、伝道者(親) は「聖書信仰と言うすばらしい財産を持たせるのを、ありがたいと思え」と言っていた。

3.命じられたように預言した(7・8)

主なる神は枯れ骨が「生き返ることができようか。」 (3)と、信仰を働かせて、「主のことばを聞け。」 (4)と語ることを預言者(あかし人)に求めておられる。(使命)。
(「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごと を判別することができます。」(ヘブル人への手紙4章12節/ペテロの手紙第一23章3/テサロニケ人への手紙第12章3節)
ニセ預言者は主が語らなかったメッセージを語り、真のあかし人(預言者)は神から聞いた活けるメッセージを語った。
特に渇いている枯れ骨を生かし、いのちを与えるのは、活ける神のことばである。エゼキエルは「私は、命じられたように預言した。私が預言して いると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。」(7)
私たちは天幕でも、野外でも、借家の集会所でも、まっすぐ神のことばを語った。ある人は天幕の集会中に、肩をふるわせて大声をあげて泣き出し て、罪を悔い改めた者もいた。その人は会社勤めをしているサラリーマンで、親から勘当されている青年であった。彼は自分の罪深さを悔い改め て、生まれ変わり、親族を導く者に変わった。

4.息が彼らの中に(再生) (5~10)

ここに「息」(ルーハ)と訳されている語は、「風」や「霊」とも言い、「動いている空気」と言う意味もある。神の霊(聖霊の働き)を意味す る。歴史上のリバイバルにも、神のことばの権威と共に、聖霊の働きも顕著であった。
イエスは「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」(ヨハネの福音書3章5節)と言い。そして、パウロも 「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」と明言する。(コリント人への手紙第一12章3節)61 年前にみことばと聖霊によって始まったキリスト者の群れは拡大し、かなりの証人となって、自立した教会の枝を伸ばしている。それは枯れ骨を再 生させ、「非常に多くの集団(軍隊)であった。」となりつつある。当時、不可能に見えた川崎の教会堂も、志木の献堂式の日に実現へ一歩ふみ出 し、今日の姿になっている。聖名を崇めよう。





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