「見張り人」目を覚まし、語れ) 


      KFG志木キリスト教会  主任牧師  久保 真理 牧師
 



「人 の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人
 とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、
 わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」

            エゼキエル書3章17節

(「身を慎み、目を覚ましていなさい。」)

             Ⅰペテロ五8





1.人の子を見張り人(ウォッチマン)に

リビング・バイブルでは「ちりの子らよ。」と呼びかけるが、「人の子」とは、まさに地に属する、ちりから造られた者で、はかない、力ない者で あるが、主なる神は、その様な者に声をかけ、召し出し、役立つ者としてくださるのである。直訳としては「わたしはあなたに、見張り人となるこ とを与えた」と言う。
BC600年にエルサレムから捕囚の民と共に、バビロンに移され、エゼキエルは唯の預言者ではなく、彼らと苦難の日々を歩みながら迷うことな く人々を主の道に導くためである。つまり、クリスチャンは身近な人々に、見張り人(ウォッチマン)の役割をはたす者である。
イザヤは「見張り人はみな目が見えず、知ることがない。彼らはみな口のきけない犬、ほえることもできない。あえいで、横になり、眠りをむさぼ る。」(イザヤ書56章10節)と、盲人やほえない番犬のように役立たない見張り人にならないように警告している。
Ⅱ次大戦中の中国で、日本の軍隊が野営した時、歩哨に立った兵隊が、昼の行軍に疲れ、特に明け方が眠気がおそってくるそうで、まさに、戦いだ そうですある。
ところが、ある部所に立った兵隊は眠気に勝てず、いねむりをしていた。そこへ、豚の鳴き声が近くにしてきて、安心していたところ、豚の皮を 被った敵兵であって、眠っていた番兵は数名殺されたそうである。それに気づいた兵隊がその豚を銃剣で刺したところ、敵兵であったと言う話を聞 いたことがある。
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回って います。」(ペテロの手紙第一5章8,9節)

2.見張り人の役割(悪者に、正しい人に)

神のことばを聞いた時、私たちはそれを正確に語る使命がある。悪者に「あなたは必ず死ぬ。」(「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受け ることが定まっているように、」〈ヘブル九27〉)と言うとき、警告し、「彼の血の責任を・・・問う。」にと答えることになる。
警告の結果、悔い改めれば「その悪の道から立ち返」えり、彼らと、「自分のいのちを救うことに」なるのである、(18、19)。
しかも「正しい人に罪を犯さないように」と、警告を与え、その人とともに、血の責任を負い、「生きながらえ、あなたも自分のいのちを救うこと になる。」(21)と言う。
どのような状況下にあっても、「警告」は神の愛のメッセージで、救いの道しるべである。
今日においては、信仰によって、主の愛と恵みを経験しているのであれば、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさ い。」(Ⅱテモテへの手紙第二4章2節)と、胸に迫ってくる。

3.主の臨在の谷間に出て行け(22)

「その所で主の御手が私の上にあった。主は私に仰せられた。「さあ、谷間に出て行け。そこでわたしはあなたに語ろう。」・・・かつて私がケバ ル川のほとりで見た栄光のように、現れた。それで私はひれ伏した。」(22、23)
心に留めるべきは、主の臨在の象徴、エルサレムが異教に汚され、バビロンの軍隊にふみにじられても、捕囚の民と共に、異教の地、ケバル川のほ とり(谷間に)、主の臨在の徴しの「栄光」が現われ、見張り人であるエゼキエルは、それを「見た」し、「ひれ伏し」て祈った時、「霊が私のう ちに入り、私を立ち上がらせた。」は重要点である。かつてモーセがエジプトから民を救い出す時に、「わが臨在、汝と共に行くべし」 (出エジプト記3章12節文語)と、保証された主が、偶像に満ちたバビロンの地でも、臨在して、「わたしはあなたに語ろう。」 (22)とみことばを響かせて下さる。まさにどこの地にあっても、主にすべてを明け渡し、ひれ伏す者に、語りかけ、主ご自身が内住して下さる。この経験なしで、真の見張り 人になることは出来ない。
私は18才の時、芸大受験に失敗し、しばらく浪人生活をしていたが、ある牧師先生に紹介されて、OMSの天幕伝道隊の働き人になった。入隊し た当時は、画家になることが捨てきれないで、トラクト(福音文書の小冊子)を配りながらも、その途中、よい景色に出会うと、必ず、スケッチし て歩いた。
ところが、ある時、「クリスチャンは自分の人生や職業について、主からの召命(コーリング)を聞いて、従うのでなければ、主からの祝福を失 う。画家になるのか、伝道者になるのか、主に祈って、明白にすべきである・・・」と心に語られていた。
静岡県の藤枝だと言う地で、約1ヵ月、天幕伝道がなされた。その時、ちらしやポスター、福音文書を配布し、スピーカーで集会案内をしたが、こ の地は反応乏しく、決心者や求道者はほとんど得られなかった。
しかし、私は早朝、川原で、聖書を開いて、祈る幸いな時を与えられた。そして、ある朝「私について来なさい。」・・・「死人たちに彼らの中の 死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」 (ルカ九59、60)と、画家を捨てて、福音のために立ち上がって、主に従うように導かれたのである。それによって今日の私と教会があるのである。




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