「すべての人を救う福音」
(イエスに仕えた人々)

      KFG志木キリスト教会  牧師  松木 充 牧師
 



「ユ ダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男
 子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、
 キリスト・イエスにあって、一つだからです。」

       (ガラテヤ人への手紙3章28節)




イエス・キリストの福音が信じるすべての人を救うものであることは、四つの福音書すべてが、いろんなアプローチで語っています。それは新約聖 書全体のメッセージです。とりわけルカは、無視、軽視されていた人々に注目することで、それを表しています。
冒頭に掲げたガラテヤ人への手紙3章28節は、アンテオケなどの異邦人もユダヤ人もいる教会で、早い時期から定型句(決まり文句)として唱え られたものと推測されます(特に洗礼の時)。今日扱うルカの記事をまとめるみことばとして選びました。パウロの伝道旅行に助手として随行した ルカが、違った形で同じメッセージを語っているのは興味深いことです。
ルカの福音書8章1節~3節には、主イエスと行動を共にした人々が述べられます。まず弟子たち(1節)、続いて婦人たちについて語られます (2~3節)。
これは、ルカ独自の記述です。ルカ福音書は、他の福音書より婦人の記事が多いと言われます。女性は、当時は社会的に低く見られていました。そ れだけでなく、ユダヤ人に嫌われたサマリヤ人についての好意的な記述もあります。それらもまた、ルカ独自の記事です。ルカは、嫌われたり軽ん じられたりしていた人々に特に関心がりました。主イエスがすべての人を愛し、救う救い主であることを示したのでしょう。
これらの人々はさまざまな人々で、さまざまな救われ方をし、さまざまな働きをしていました。特に、婦人たちの働きは、主のお働きを大きく助け るものでした。主イエスは、どんな人でも同じように愛し、救い、主のために大切な働きをする者として下さいます。
弟子たち(十二使徒)については、六章12~19節のメッセージ(四月十五日)で語ったので、今回は婦人たちをその例証として見てみましょ う。
これらの婦人たちは、さまざまな立場の人々、さまざまな救われ方をした人々、さまざまな奉仕をした人々でした。

1.さまざまな立場の人々

主に従っていた婦人たちは、さまざまな立場の人たちでした。
マグダラのマリヤは、七37以下に出てくる罪深い女と考える人もいますが、確実なことは言えません。しばしば映画などでは元売春婦のように描 かれます。ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナは、身分の高い人の妻で、金持ちだったでしょう。「スザンナ、そのほか大勢の女たち」もいました。
イエス・キリストは、どのような身分の人でも、どのような職業の人でも、どのような学歴、経歴の人でも、すべての人を愛し、すべての信じる者 をお救いになるのです。

2. さまざまな救われ方をした人々

主に従っていた人々は、さまざまな形で主イエスに救われた人々でした。
「悪霊や病気を直していただいた女たち」と言われます。
マグダラのマリヤは、七つの悪霊を追い出していただきました。七は完全数で、徹底的に悪霊に支配されていたのでしょう。その生活も、徹底的に 邪悪なものだったのでしょう(一一26参照)。七章の罪深い女と同一視されるのは、近い記述であるのと、「七つの悪霊…」からの推測でもあり ます。
ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナは、あるいは、ヨハネの福音書4章46節~54節の、息子を癒していただいた王室の役人の妻かもしれません。 福音は、早くからヘロデ王宮にも浸透していたのです。他の箇所には、「国主ヘロデの乳兄弟マナエン」(使徒一三1)、「アリストブロ」(ハス モン王家ゆかりの名、ローマ人への手紙16章10節)、「ヘロデオン」(ローマ人への手紙16章11節)などの名が見えます。
スザンナ、その他の婦人たちについては、詳細はわかりません。それぞれ、さまざまな形で主イエスの救いを受け、悪魔の支配から解放されたので す。
日本にも、さまざまな救われ方をしたクリスチャンたちがいます。すばらしい働きをした婦人たちもいます。

3. さまざまな奉仕をした人々

主に従っていた婦人たちは、さまざまな奉仕をしました。
奉仕の内容も記されています。彼女らは、「自分の財産をもって彼らに仕えている」と言われます。新改訳第三版は、「自分の財産をもって…」を ヨハンナの前に置いていますが、原文では関係代名詞は複数で、文末にあります。大きな献金をしたのはヨハンナやスザンナと推察されますが、 皆、多少にかかわらず、主にささげて仕えたのでしょう。
「彼らに仕えている…」と言うように、彼女たちは、主イエスと弟子たちに仕えました。特にヨハンナは、献金し、主とともに旅の生活をするに は、夫クーザの理解も必要だったはずで、多分夫も主を信じていたのでしょう(やはりクーザはヨハネ四章の王室の役人でしょうか)。
また、婦人たちの奉仕として当然推測できるのは、主イエスやお弟子たちの身のまわりの世話です。食料の調達、料理、洗濯等々。
特にここで注目したいのは、ヨハンナよりも先にマグダラのマリヤが挙げられることです。かつて徹底的に堕落していた女性が、人生が変えられ て、貴婦人も含めた女弟子のリーダーになっています。彼女たちは、地上の秩序ではない神の家族の秩序で生活し、仕えていたのです。
マグダラのマリヤも、ヨハンナも、復活の朝墓に出かけています(二四10)。どこまでも主を愛し、主に仕えたのは、この婦人たちでした。キリ ストにあっては、男も女もありません。
ジョン・ウェスレーの母スザンナが、息子たちの信仰に大きな影響を与えたのは有名です。パール・バックは、『母の肖像』で中国宣教師夫人とし ての母の生きざまを記しています。その他、数々の名も知れない母親たちが、偉大な信仰者たちを育てました。誰であっても、主を信じるなら救わ れて、大いに主に用いられることができるのです。
 




 ホーム