「主の無限の恵み
(涙の預言者)

      KFG志木キリスト教会  主任牧師  久保 真理 牧師
 



「私 たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主の
 あわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あ
 なたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私の
 たましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。」

        (哀歌 3章22~24節)  




1.泣く預言者の姿(○参イザヤ書53章3節)

エレミヤは20才の頃から、預言者として、40年間働いていた(BC600年代)。
「ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。」(エレミ ヤ書9章1節)と、エルサレムの滅亡を悲しんだ。哀歌においても涙の詩人となった。
「道行くみなの人よ。よく見よ。」(一12)と、涙で訴え、「ああ、人の群がっていたこの町は、ひとり寂しくすわっている。国々の中で大いな る者であったのに、やもめのようになった。・・・彼女は泣きながら夜を過ごし、涙は頬を伝っている。・・・エルサレムは罪に罪を重ねて、汚ら わしいものとなった。彼女を尊んだ者たちもみな、その裸を見て、これを卑しめる。・・・」(哀歌1章1~8節)と、バビロン軍によって、陥落 する預言をしたのみか、哀歌では、聖都エルサレムが娘にたとえて、その輝きを失うほどに、破壊され、神殿の宝石や貴金属の聖なる用具も、徹底 的にはぎ取られ、異教の国、バビロンに持ち去られた。
ユダの美しい若い人々も捕囚となって何回かにわけて、つれ去った。そして、エルサレムが荒廃をしていく様を悲しんでいる。エルサレムを聖都と するユダの人々は、王、祭司、指導者的な立場の人々から一般庶民に至るまで、神との交わりの中に歩む道をすて、形式や儀式を重んじながら、真 の神を無視して、偶像礼拝をもち込み、社会的にも、道徳的にも罪に罪を重ねる国民となっていた。
それゆえ、エレミヤが語る神のメッセージに耳を傾けようとせず、背信を続ける人々に、彼は唯、エルサレムを見おろす洞窟で涙を流して祈ってい た。そこは、後にイエス・キリストが十字架にかかった、あのゴルゴダの丘の洞窟であったと伝えられている。主イエスはやがてローマによって滅 亡しようとしていたエルサレムを見ながら、泣いて祈った姿とダブって来る。
私たちも、エレミヤに倣って、今の時代の滅びゆく人々のために、とりなして祈ろう(○参エレミヤ書14、15章)。

2.尽きない恵み(ヘセド) 三 22~24

エレミヤは日夜、人々の間を歩き回り、彼らが悪から離れるように懇願し、訴え、説得し、威嚇し、嘆願、哀願したが無益となり、むしろ、エレミ ヤを憎み、嘲弄し、殺害しかかった。そして、投獄されたが、人々は悔い改めることをしなかった。神の祝福を失い、干害で、食糧難となり、その 上、敵に囲まれて、飢えると、母親は子を殺して食べるほどの絶望状態となった。
ついにバビロン軍はエルサレムを炎上させ、ゼデキヤ王の子らは彼の目の前で虐殺され、首長たちも虐殺された。そして王は両眼をえぐられ、青銅 の足かせにつながれて、バビロンに投獄された(エレミヤ書52章)。
それでも、冒頭のみことばの様に、エレミヤは残りの民に「私たちが滅びうせなかったのは主の恵み(ヘセド)による。」と宣言する。これは哀歌 のクライマックス(高潮点)である。主なる神に心を閉ざし、悔い改めようとしない人々がいても、「神のあわれみ」 (慈愛)の本質は変わりない。忍耐強く、愛に満ちた御方である。
まさに、天空は黒雲におおわれ、大嵐の吹き荒れる情景が展開されていても、その上には光輝く太陽が照りかがやいている。
エレミヤは一生を涙と苦難の生涯で、人間的には何も報いられず(バビロンの王が栄誉と宮廷の要職を与えようとしたが彼は拒絶した。)、悲しみ の人イエスを指し示して、最後にはエジプトの地で、同胞に石で打ち殺されたと伝えられている。
しかし、語られたメシヤ預言はイエスの到来で実現し、「主こそ、私の受ける分です。」 (○参詩篇73篇26節)と、十字架を通して、信仰によって、主ご自身を、内住させるとは何と言う恵み、特権であろう。

3.語った言葉が試される時

東北のM市で開拓伝道に遣わされた時、集会所(借家)探しをしてから、まず、市内を見わたせる山に登り、林の中で、応援の先生方と一日断食祈 祷の時をもった。不思議なことに日曜学校の子どもたちは遊びながら、長い時間いたのを忘れられない。
まず、夏には空き地に天幕を張って、一週間ほど毎晩「伝道会」をして、十数名の求道者を与えられた。応援の先生がいなくなると、神学校卒業し て、初めての伝道牧会と言うことで、日曜の朝は礼拝、夜は「伝道会」 (新来者、求道者)を集会として開いていた。5、6人が平均出席者であったが、一人と言う時もあった。そう言う時は神、罪、救いと言う教理を個人伝道として聖書を開いて学 んだ。
ある月曜の朝、ある婦人が「昨夜は自分の罪が示されて眠れませんでした。」と尋ねて来られて、涙を流して、恥ずかしい罪を告白し、祈って、喜 びと平安を経験して帰宅した。その家には五人の子どもたちがいて、日曜学校にも出席していた。いよいよ洗礼を受ける時、出かせぎに出ていたご 主人が帰宅し、「牧師を呼んでこい!」と言うことで、そのご主人と対座した。その時、彼は短刀を畳につきさして、私がいわゆる宗教で、奥さん をだましているなら「私をさし、自分も死ぬ」と、言った。私は一生懸命、誠実にあかしをした。結果は「奥さんが必ず変わることを約束して」受 洗になった。



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