「救い主、来臨の約束
(新しい契約)

      KFG志木キリスト教会  主任牧師  久保 真理 牧師
 



「わ たしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約
 を結ぶ。・・・  主の御告げ。
 ―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心に
 これを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわ
 たしの民となる。」 

       (エレミヤ書31章31~33節)   




1.暗黒の危機の時代の光

紀元前六百年頃、エレミヤはユダの人々にバビロンの勢力によって、国家崩壊、聖都エルサレムも崩壊しようとしていた。エレミヤの語ることは真 実であったが、人々は耳を傾けるようにせず、冒頭の預言をしていた頃は「監視の庭に閉じ込められていた」 (三三1)と、ある様に、人々は過去の栄光にしがみつき、せっかく語られている神の光が見えていなかった。ふりかえると、BC 千年、サムエルの時代(サムエルサムエル記第二7章)にダビデの子株から救い主が到来すること、イザヤの時代(BC七百年〈イザヤ書11章1節〉)には「若枝」が生えるこ とが預言されていた。さらに、エレミヤは、この救い主が到来して、「新しい契約を結ぶ」とまで、希望を語っていた。(○参Ⅱサムエル記第二7 章12,13節)
たとえ、旧約時代であっても未来に起こる救いのみわざに信仰もつ者を救い、私たちは過去に起こった贖いの事実に信仰を働かす時、この神の救い に与るのである。

2.心は万物より偽るもの (エレミヤ記17章9節)

エルサレムの人々は外面は敬虔そうに見えているのに、その心は「陰険で、それは直らない。」 (9〈新改訳〉)、文語訳ではみだしにある様に「人の心は万物よりも偽る者にして甚だ悪し」と、語られ、「ユダの罪は鉄の筆と金剛石のとがりでしるされ、彼らの心の板と彼 らの祭壇の角に刻まれている。」と(一七1)。
彼らには律法(十戒)があったが、前半は神との関係、後半は人の関係を守らず、破られていた。特に偶像礼拝(神を第一としない)罪は恵み深い 神に背を向け、祝福を失っていた。冒頭の聖句(三一32)には「その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日 に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。」と、出エジプトしたイスラエル の民が、あの四百年の奴隷生活から救出されたのに、荒野の途上で、何度も罪を犯し、主と民との関係は破られたのである。
その原因を、ステパノは「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。・・・いつも聖霊に逆らっている・・・」(使徒七51)と指摘し ている。
つまり、律法が守れない人の弱さ、頑固さ、イエスの時代でさえも、「偽善なるかな、・・・学者、パリサイ人よ。」(マタイの福音書23章 28,28節)と語られている。この事は、人は律法や行いによっては神の前に立てないし、救われないことを知る。それでも、「永遠の愛をもっ て、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(三一3)と言う主なる神は、「新しい契約」(三一 31~33)を用意し、エレミヤによって、救い主の到来を明白に告げている。
「その日、その時、わたしはダビデのために正義と若枝を芽生えさせる。・・・ (the gracios promise) 〈三三 15、16〉しかも、その御方(キリスト)が到来する時、「新しい契約を結ぶ」(三一31)と言う。

3.新しい契約はキリストによって

古い契約(神との関係)は人の罪を明白にしたが、その解決のために、主は二千年前、約束のとおり、イエス・キリストをお遣わしになった。彼 は、その身をもって、律法を全うされ、罪なき御方であることを証明された上で、十字架にかかり、すべて信じる者の救いとなられたのである。
「もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリス トが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生 ける神に仕える者とすることでしょう。」
(へブル九13、14)
新しい契約とは「律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。」とある様に、救い主キリストを内住させる恵みを語っている (黙示録三20)。
聖なる神の子が私たちに代わって、十字架に釘づけられ、血を流して下さった。「その血は、どんなに私たちの良心をきよめて死んだを行いから離 れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」と、いわゆる行い主義の表面的解決ではなく、「生ける神に仕える者」と変容させてくださ る。いきいきした主との霊的解決を与えられる
(Ⅰヨハネ一7)。
MWさんは夫婦けんかの絶えない家庭で三人姉妹の中で成長した。中学生頃から優しい男性を求めて、多くの男性と交際し、26才の時、八年の付 き合いの結果、結婚したが、一年半で、うまくいかず離婚した。そして、うつ病になった。39才の時、病気が小康を得て、貿易会社で仕事に精を 出したが、再び、うつ病が深刻化し、会社を止めた。その後、スイス留学をし、スイス人と結婚し、彼の母親と三人で生活していたが、一ヵ月で離 婚となった。その時、生活に行き詰り、睡眠薬自殺をしようとしていた時、語学留学のクラスの中に2人のクリスチャンがいて、無条件の愛で彼女 の面倒を見て、「救い主イエスはあなたの傍にいて下さっている」(詩篇32篇3節)、と聞き、イエスを救い主と信じ、受洗して生まれ変わっ た。
今は母親と共に教会に通い、宣教師の秘書をし、母親は子どもの面倒を見る仕事をし、うつ病から解放されて、主の永遠の愛に生かされているとの こと。〈「よろこびの泉」六九五号から〉。



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