「永遠の愛で愛した
(主のもとに行こう)

      KFG志木キリスト教会  主任牧師  久保 真理 牧師
 



「主 は遠くから、私に現われた。『永遠の愛をもって、わ
 たしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠
 実を尽くし続けた。』」

          (エレミヤ書31章3節)   
      




大預言者イザヤが召されてから(BC626年) 60年~百年後に、エレミヤはユダ、特にエルサレムを中心に活動した。エレミヤ(ヤーウェ〈神〉は確立される、または巡遣される意味)は祭司の子で、聖都から5㎞離れたア ナトテ村出身者、幼い日から、祭司の子として、影響をうけて成長したと思われる。
エルサレムはその頃、風前の灯の状態で、まだ崩壊をのがれていた。まさに、一見、平安の様に見えたが、暗黒の危機の時代であった。

1.神の声ひびく

人が選ばれ、訓練され、神に用いられる器になるためには、神の細い声を聞くことから始まる。エレミヤに対しても、「あなたを胎内に形造る前か ら、あなたを知り、・・・」(5)と、生れる前から選んでおいでになったと言う。
「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」(エペソ一4)と、使徒パウ ロも語っている。人は自分で何とか出来ると言う時は、主の細い声が聞こえない。
ある人は、徹夜のマージャンで、日曜日の朝、教会の前を自動車で通りかかった。その日のメッセージの聖句が書かれてあって、「われに従え!」 と、胸にスーと入ってきて、礼拝に出席して、救われた方もいる。
エレミヤの場合、「あなたを国々の預言者と定めていた。」(4)と語られた時、
 ①「ああ、神よ、主よ。・・・私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」
 (6)と、21才の彼は神の招きを尻込みしている。人は若さを問題視するかもしれ
 ないが、神の目には「若さ」は心は柔らかいと言う特権がある。各人がかたくなな考
 えを持つより、神のことばを素直に受け取る者でありたい。
 ②「どう語っていいかわかりません。」と経験不足で、王や祭司や様々な指導者を前
 に、とても、大胆に神のことばを語れない。人々を導くのに力不足である(「この世
 の取りに足らない者や見下されている者を、神は選ばれました。」〈Ⅰコリント人へ
 の手紙第一1章28節)
 ③「わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。」(7)と言われる時、自分を見る
 と雄弁ではない。しかし、神はたとえ、訥弁でも語るべきことを、その時々教えてく
 ださる。大切なことは「彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて・・・」
 (8)と、神と共に(臨在の中に)いる生活である。

2.アーモンドと煮え立つ釜(一:12、13)

中東の春、一番に、速やかに咲く花、ピンクがかった白い花は火がともった様に咲き、希望を感じさせる。「わたしは見張っているからだ。」 (12)とあるように、時を象徴するもので、危機の暗闇にメシヤ到来(希望)を暗示する花である。
次に彼が見ていた幻は「煮え立っているかま」で、すでに北方から手前に傾いていた。つまり、やがて、エルサレムに降りかかるバビロンの軍隊に よる滅亡と、捕囚と言う神の裁きを告げたが、人々は聞く耳を持たず、神に背を向け、様々な罪(○参罪の目録:二9~37)を犯しつづけた。
エレミヤは涙をもって、神の裁きのメッセージを語ったが悔い改めるどころか、この真実な預言者を迫害し、郷里の人々でさえ、いのちをねらった のである。(○参十二6/十一18~)まさに、エレミヤの生涯は悲しみの人、イエス・キリストの姿を指し示していた。(マタイ一六  1314/二三37)。
彼は40年預言者として働いたが、時には足かせに繋がれたり(二〇1~3)投獄されたり(三七)ついに石で撃ち殺された。

3.永遠の愛で愛する(三一3)

神のことばに忠実である時、人は一見、孤独に見えるが、冒頭にあげた聖句のように、神の顕現(臨在)と「永遠の愛をもって」(ヘセド)愛して くださり、恵みも豊かである。
エレミヤはエルサレムのために、最後の最後まで、目が涙のためにつぶれるほど祈り、迫害する人々に、「私たちの神、主のもとに行こう。」と 語った。
J・デシーザー氏は米国・オレゴン州の牧師家庭に生まれ(一九一二年)、高校卒業後すぐ志願して軍隊に入った。真珠湾攻撃の報に触れて、日本 への憎しみを抱き、四二年、日本への報復のため爆撃隊に加わり、東京方面へ爆弾を投下した。しかし、燃料がそこをついて墜落し、三年四ヵ月 間、日本軍の捕虜となった。―この間、獄中で、キリストの教えを思い起こしたデシーザー氏は刑務所所長に依頼して聖書を借用し、「人は心に信 じて義と認められ、口で告白して救われる。」(ローマ一〇10)のみことばを通して、罪を告白し、日本への憎悪も告白して、キリストの十字架 の赦しと救いを体験した。むさぼるように聖書を読むうちに、日本人への愛と宣教のビジョンを与えられたと言う。
四八年、米国で神学を学び、宣教師として夫人とともに来日。以後二九年間、西宮、名古屋、所沢と開拓伝道されて、神の愛を語り、その恵みの メッセージで多くの人々がキリストのもとへ導かれた。
その中には真珠湾攻撃の指揮官、淵田美津雄氏もその一人である。日本を激しく憎んでいた者が、「永遠の愛」(十字架の愛)によって、日本を愛 する者に変えられ、日本に生涯を献げ、仕えたのである。





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