「救いのビジョンを祈れ」
(主 は祈る人を求めている)

     KFG志木キリスト教会 主任 牧師  久保 真理 牧師
 



「義 を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞
 け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見
 よ。」

          (イザヤ書51章1節




●預言された「救い」
イザヤはイエス・キリストの到来七百年前に、その「救いのメッセージ」を語り、特に神の審きとしてのユダの民のバビロン捕囚と、その解放を祈 るべきこと、必ず祈る者には応答があることを語っている。
ここでも、審きより、「救いのビジョン」(神の救いの成就)を示しておられる。

1.わたしに聞け、耳を傾けよ (1、4)

「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。」とは主の臨在の中にいるキリスト者のことであり、真剣に祈る者をさしている。(祈るとは、願いご とを神の前に一方的に述べ、訴えるだけでなく、主の臨在に触れ、聞く(耳を傾ける)ことである。(「静まって、われの神たることを知れ。」 〈文語〉詩篇四六10)。
そして、「あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。」(1b)(「自由の身となることを願い、神を尋ね求める者よ、わたしの言う ことを聞け。おまえたちが掘り出された採石場、切り出された岩を見よ。」とLBには記されている。
イエスの弟子たちは、宮の建物をさし示して、目をみはっている場面があるが(マタイ二四1、2)、イザヤの時代は、バビロンに亡ぼされる前だ から、宮に使われている石材はさらにすばらしかったろうと思う。
つまり、主に見い出され、救い出された採石場の岩やその穴を思い見よ!と言う。私たちは主に見い出され、救い出され、立派な神の宮の石垣とし て組み込まれている。
私たちはみな神の教会(からだ)の石垣で、主の恵みと信仰によって、そこに置かれていることを、感謝しよう。特に、私たちが困難や試みの中を 通る時、すでに備えられた「救いのビジョン」の実現のため、切に祈ると共に、「切り出された岩、掘り出された穴」を思い見、神に選ばれた祈り 手として、主がなして下さったみわざ(奇跡)を「心に留めよ」(五一4)「耳を傾けよ」と言われる。事実、信仰の父アブラハムとサラのことを 考えてみよ(2)と事例を挙げている。彼らは高齢(百才と九十才)でも、神の約束を信じ、実子を与えられ、子孫は増加し、主をあかしする国民 となった。
「その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。」と、やがてバビロン捕囚の人々が解放され、廃墟のエルサレムの復興を約束し ている。今日のキリスト者たちの祈りにも必ず、すばらしい応答を与えられ、人々を永遠の救いに入れて下さると言われる。

2.さめよ。さめよ。力をまとえ (9~)

LBでは「神様、目を覚ましてください。立ち上がって、力を奮い起こしてください。」と訳され、まるで、主なる神が眠っている様に、「さめ よ!」とは「目を覚ましてください。」と言う。そして、天地創造の頃の怪獣や竜を退治した(伝説)、昔の日のように、主の御腕をふるって下さ いと祈る。つづいて、「海と大いなる淵の水を干上がらせ、海の底に道を設けて、贖われた人々を通らせ・・・」(10)と、出エジプトの時の紅 海徒歩の奇跡のように、捕われ人が喜び、歌いながら帰ってくることを、予告し、すでに神が約束通り、救いが実現するように、見える困難をのり こえて、涙の祈り(詩篇126篇)が求められている。出エジプトの驚くべきみわざも、奴隷となっていた「イスラエル人は労役にうめき、わめい た。彼らの労役の叫びは神に届いた。」(出エジプト二23)とあるように、苦しみの祈りは主の御腕を動かした(出エジプト13章3.9、 14、16節)。

3.シオンの回復(リバイバル)を

「主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。」(詩篇一二六4)福島第一聖書バプテスト教会の牧師、佐藤彰師の著書 には、すばらしい一人の婦人のあかしを読むと、目頭が熱くなった。佐藤師が神学校二年生の時、突然、一人のご婦人(60代)が福島県の田舎か ら訪ねて来られ、「東北の田舎の小さな教会ですが、牧師がいないのです。どうか助けに来てください。」と懇願された。
ほかに行くあてもなかった佐藤師は、その約一年半後に着任したそうである(25才で牧師になり、卒業式の十日後結婚し、その十日後に着任)。
右も左もわからない牧師夫妻は、この旧家のご婦人の孫のような若い牧師を助け、よく仕え、牧師家族を大切にしてくださり、頭が下がったとのこ と。彼女は説教をテープレコーダーに録音しては、一週間かけて大学ノートに書き写し、誕生日や結婚記念日には多くのもてなしをしたと述べてい る。先生の生活の心象風景の中にこのご婦人が併走して、励まし、敬意を払い、バックアップしてくれたと述べている。
彼女は常日頃「東北の田舎の難しい境遇の中で、主は私を救い、主人や子どもまでもお導きくださいました。そんな主の恵みに、私は一体どれほど 応えてきたのでしょう。」と語っていた。このご婦人は70才過に、癌になったが、信仰に燃え、ワープロを習い、指で奉仕し、奏楽でも奉仕し、 ある日、「ここにチャペルを建設したい。」と申し出、召される直前にはさらに別な土地に遺言を残し、千二百坪の土地をチャペル建設にささげ、 天に帰られ、有終の美をかざった。
佐藤師は幼児の時から母親が牧師になるように祈られたし、また、福島の教会が失われないように、このご婦人の祈りがあった。主は今も祈りに応 える。




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