「天幕を張り広げよ」(変わらぬ愛)  


     KFG志木キリスト教会 主任牧師  久保 真理 牧師


「「あ なたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜
 しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせ
 よ。」
           (イザヤ書54章2節)

●「『わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの
 平和の契約は動かない』とあなたをあわれむ主は仰せら
 れる。」
           (イザヤ書54章10節)
      




1.受難のしもべ

「永遠に変わらぬ愛」(ヘセド)と言われる神の恵み(祝福)はイザヤ五三章の受難のしもべ(預言されたメシヤなるイエス・キリスト)を無視し ては考えられない。御子イエスは「正しいしもべ」なのに、罪人として、「多くの人の罪を負い・・・」(12)十字架上に死んで下さり、復活 後、神の右の座にて「とりなし」をして下さる、救いの道を開いて下った。まさに、「不妊の女」(石女〈うまずめ〉)も、「夫に捨てられた女の 子ども」も、「やもめ」など、主なる神と人との関係を夫婦の関係にたとえておられる。
「あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。」(5)とある様 に、イスラエルの民は選ばれた民であり、唯一の真の神、主を愛し、人を愛して歩むべきなのに、聖なる神の都にさえ、偶像神(異教の神々)を持 ち込んだり、霊とまことを持って礼拝すべき主を、生ぬるい、マンネリ化した信仰生活をしていた。
それゆえに、預言者イザヤやエレミヤが語ったように、偶像に満ちたバビロンに70年も捕らわれの民となって、まさに、「夫に捨てられた、心に 悲しみのある女」(6)となったのである。それゆえに、御子イエスを受難のしもべとしても、「永遠に変わらぬ愛」(ヘセド)〈8、9〉をもっ て、贖いの道を用意された。
しかも、「喜び歌え。・・・喜びの声をあげて叫べ。」と、神との交わりの回復、リバイバルを語って、私たちを祝福へ招いて下さっている。

2.永遠の変わらぬ愛(ヘセド)〈8、10

エレミヤがかつて、神の意思を人々に伝えたが、人々は聽く耳をもたなかった。その時にも、「主は遠くから、私に現れた。『永遠の愛をもって、 わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。』」と励まし、慰め、祝福している。(エレミヤ書31章3節)ヘ セドには神の顕現があり、「アガペー」の永遠の愛、真実、誠実な愛、燃える意思的愛、しかも繁栄と全き平安(シャローム)が約束されている。
アブラハムはかつて、「わたしの示す地へ行きなさい。」(創世記12章1節)と神に従い、荒野を旅した。そして、「あなたの名は祝福とな る。」と約束された神は、天の無数の星を見上げさせ、子孫の繁栄を約束された(創世記15章5節)。そして、アブラハム百才、サラ90才で、 イサクが生れ、祝福されて、大いなる国民となって、神の栄光を現わす選民となった。「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死ん だも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。」
(ローマ人への手紙4章19~21節)

3.信仰の回復と喜び(53章1~3節)

夫なるキリストの花嫁として、クリスチャンがからだなる教会として、主と深い愛の関係にある時、新しい命の誕生を見る。たとえ、きびしい荒野 の天幕生活であっても、神の家族が増し加わり、「天幕の場所を広げ、・・・住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固に せよ。」(2)と、ある。
ただ信仰によって、老いたアブラハムとサラに念願の子が与えられた様に、主は私たちをこの世の奴隷生活から解放して、罪汚れから自由にして下 さったのであるから、近隣や親族、友人、知人をキリストに捕えられた愛と恵みの人として、どこへでも「かわらざる愛」の配達人としていただ き、教会が人々に満ちる姿を見たいと思う。
私が山形の開拓伝道に遣わされた時、山形一の教会を形成していた陶山節子先生という人に出会ったことは忘れられない。彼女は横浜のフェリス女 学院の英語教師で、チャプレンであった。
ある時、米国宣教師ミーコと言う方が、伝道するのに依頼され、通訳をしているうちに、彼の語るみことばによって、いわゆるクリスチャンから、 罪を悔い改めて、救われて、本物になって、フェリス女学院をやめ、宣教師の通訳者として、各地を伝道しながら、山形で腰をすえて伝道し、山大 の近くの東原と言う場所に立派な会堂を建て、宣教百年記念の頃百名以上の人々が礼拝に集っていた。
私は時々、付属の幼稚園で、聖書のお話や絵の画き方や見方を子どもたちや、時にはお母さん方にも教え、陶山先生とはよい交わりの時をいただい た。その御礼に園児達は英語で「ジーザスラブスミー」を合唱してくれ、今でも、その感動は忘れない。(福島第一聖書バプテスト教会の佐藤 彰師はこの幼稚園出身で、母親の祈りの応答ときいている。)― 祈りとビジョンのあるところに主のみわざがなされる。
あの頃、陶山先生は「私は石女で、子どもは与えられなかったが、霊の子どもは与えられ、老後もさびしくない日々で、感謝している。」と、よく 話しておられた。(後に、蔵王で、川崎先生ご家族と共に牧会伝道しながら、この地上の生涯を終えられた。)。
東北の地に宣教師と共に蒔いた福音の種は数十年後には、約80ヵ所の教会が保守的な東北及び東日本の地で、実を結びつつある事実に聖名を崇め る。




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