「愛すべきもの」(新しい命令)


      KFG志木キリスト教会 牧師  松木 充 牧師


「世 と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行
 なう者は、いつまでもながらえます。」

         (ヨハネの手紙第一 2章17節)




 私たちは、しばしば愛するべきでないものを愛し、愛す るべきものを愛さなかったりする。
 ヨハネは、書き送る命令は新しいものではないが、新しい命令として書き送ると言う(7、8節)。その命令は、明確には語られないが、主にあ る兄弟(姉妹)を愛することを言っているのであろう(9~11節)。そして、「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません」と言う (15a節)。世と世にあるものを愛さないのなら、何を、誰を愛するべきか、やはり明確には語られないが、「もしだれでも世を愛しているな ら、その人のうちに御父を愛する愛はありません」(15b節)と言われるので、世ではなく、神を愛するべきだということであろう。 それらの 真ん中にあるのが、その命令を書き送る理由である(12~14節)。
 総じて言えば、ここに書かれているのは、愛するべきものと愛してはならないもの、すなわち、兄弟を愛するべきこと(7~11節)、世を愛し てはならないことであり(15~17節)、そのような命令を書き送る理由(12~14節)である。そして、それらの命令を行なう者は、永遠の いのちを持っているので、いつまでも生きる(17節)。
 私たちは、世と世にあるものを愛さず、神と兄弟姉妹とを愛するべきである。
 それは、
  ①まことの光が輝いているから
  ②悪い者に打ち勝ったから
  ③みこころを行なう者は永遠に生きるからである

1.まことの光が輝いている(8節)

 まことの光、すなわちキリストの光は今や輝いている。だから、世と世にあるものを愛さず、神と兄弟姉妹を愛するべきなのである。
 ヨハネは、この命令は古いが、新しい命令として書き送ると言う(8~9節)。それは、主イエスがすでに互いに愛し合うべきことを、十字架を 前にして弟子たちに教え、ヨハネが書き送る教会にもすでに教えられていたからである(ヨハネ一三34)。
 もちろん、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」とも主は教えられた。また、敵をも愛しなさいと教えられた(マタイ五44)。な ぜ、ここでは兄弟姉妹なのか。それは、「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認め るのです」(ヨハネの福音書13章35節)と言われるように、証しとなるからである。ヨハネの手紙第一の場合も同様で、兄弟を愛していること は、すでに現されたキリストの救いの光の中にいることが、それによって明らかになるからである。
 それは、当時の異端信仰に走った人々とは違うことを示すものでもある。本当にキリストを信じて救われた者は、キリストがいのちがけで愛され たように、兄弟姉妹を愛する。
 私たちキリスト者は、すべての人を愛するべきである。しかし、同じ神を信じ、同じキリストによって救われた兄弟姉妹を愛さないで、どうして すべての人を愛することができようか。愛するとは、思想ではない。あるいは感情だけでもない。目の前にいる人をなくてならない人として大切に 思い、尊敬することである。愛そうとする意志の問題である。
 キリストは、すべての人のためにいのちを投げ出された。そのキリストによって、私たちは救われたのではないか。もし愛せないなら、罪を赦 し、きよめる十字架のもとに帰ろう(一7、9、二1~2)。

2.悪い者に打ち勝った(12~14節)

 私たちは、キリストを信じて救われ、神を知っているなら、悪い物に打ち勝った。だから、世と世にあるものを愛さず、神と兄弟姉妹を愛するべ きなのである。
 ヨハネは、12~14節に、新しい命令を書き送る理由を述べる。ここで、「子どもたち」(小さい者たち)、「父たち」、「若い者たち」と呼 びかけるが、必ずしも別々の年齢層ではなかろう。救われた人々は神の子どもであり、ある人たちは親でもあり、信仰においては若々しく戦う者で ある。
 彼らは、罪赦され(12節)、初めからおられる方、御父を知り、悪い者に打ち勝った。「悪い者」(単数、冠詞)とは悪魔のことであろう。
 人生を終えていない彼らが、すでに悪魔に勝ったと言われるのは、キリストがすでに勝利を得たので、信じる者たちも勝利が確定しているからで あろう(ヨハネ一六33)。そうであれば、キリストの勝利によって、私たちに愛させないようにする悪魔に勝つことができて、愛することができ る。
 野球でも、ヒットが打てなくても、チームが勝てば勝利者である。私たちは、キリストのチームに属する勝利者である。だから、勝利を与えて下 さった主に祈り願うなら、必ず愛が与えられる。

3.みこころを行なう者は永遠に生きる(17節)

 みこころを行なう者は、永遠のいのちを持っていて、いつまでも生きる。だから、世と世にあるものを愛さず、神と兄弟姉妹を愛するべきなので ある。
 世と世にあるものを愛してはならないと、ヨハネは続けて教える(15節)。それは、世を愛しているなら、その人のうちに父なる神を愛する愛 がないからである。「世」は、神に敵対するものである。
 世にあるもの、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、神から出たものではない(16節)。それが、世を愛することである。このあたり、 エバが蛇(サタン)にだまされて、禁じられていた木の実を食べたいきさつを思い起させる。誘惑は、まず耳から入って神のことばを疑わせ、次に 目から入っておいしそうに見え、そして食べるという行動に移し、自分だけでなく、夫にまで与えて食べさせた。罪は他の人にまで影響を与える。
 世と世の欲は滅び去る。神のみこころを行なう者、すなわち、神を愛し、兄弟を愛する新しい命令を守る者は、救われて永遠のいのちを持ってい ることが現れているので、永遠に生きる。





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